ある女性は・・・その9

私は彼女にとっては異質な友だし、彼女もまた私にとってはきわめて異質な友でした。


にもかかわらずどういうわけか何となく気が合い、それほど頻繁でもなく、また間遠でもないペースで夫婦同士で食事をしたり、電話で女同士の長話をしたりした。


ローズの率直さと気の強さが私は好きでした。


気性をそのまま反映するような顔立ちは、意志の強そうな眉と、オリエソタル・ビューティの黒い瞳を中心に、彫りの深い美形。


曲豆かな黒髪をひっつめのシニヨンにしているため、その彫りの深さがいっそう強調されて、とりわけ外出用に少しきつめにメイクをしている時など、思わずジーッと見つめてしまうほどきれいなのです。


原石の美をたたえるローズ。


磨けばもっともっときれいになるだろうなと思いつつ、いや、このまま粗削りの状態でとっておきたいような気もしました。

ある女性は・・・その8

素朴なカントリーガール、ローズは故郷のアルジェリアを除いてはフランス国外に旅したこともなく、華やいだパリの「業界」などとはまったく無縁のところで暮らしていました。


日頃は滅多に来ないパリに、私たちを訪ねてローズが夫と共にやってくる時、手土産に持ってきてくれるのは村の森で拾い集めたクルミとか、庭のぶどう棚から摘んだ小粒の少し酸っぽいぶどうだったりした。


和食をこれまで一度も食べたことのない彼女は、私が夫妻を家に呼んでちらし寿司やしゃぶしゃぶなどをご馳走した時、ぎこちない箸つかいでおっかなびっくりながら、出された分をきれいにたいらげたが、それを本当に美味しいと思ったかどうか、となると私も心許ない。


何しろフランス家庭料理以外の料理はほとんど知ることなく今日まできたのです。

ある女性は・・・その7

私がこんな個人的な話をいろいろ聞くことになった背景には、私自身の結婚に際してのよく似た事情というのがあったからで、当時そのことでかなり傷ついていた私を励ますつもりか、または「被害者としての怒り」を共有するつもりか、ともかくローズは「彼女のケース」について、かなり率直に、しかもそれを淡々とした調子で話しました。


ただし既に十年という歳月を経ているせいか、彼女の口調にはどこか他人事のような冷めたところがあり、本当のところその問題をどのくらい苦にしているのか、不快に思っているのか、そのあたりのニュアンスは実は私にもよくわからなかったのです。


むしろ日頃は温和な夫のジャンが、自分の親に対してここまで毅然としたほとんど冷酷な態度を見せることの方が、ひどく意外でした。


ともかく、食後のコーヒーを飲みながら、あるいは森を散歩しながら、私とローズはそのことをよく話題にしました。


しかし、結婚に際しての相手の親がらみの問題、という点を除けば、私たち二人の間には特にこれといって共通する点というのはなかったのです。

豊かな生活を意味する

昭和20年代前半、家庭電化は、豊かな生活そのものを意味ました。


「隣が買うならうちも・・・・・」とばかり、人びとは、ひとつでも多くの家電製品を買い揃えるために、額に汗して働きつづけたのでした。


サーフィンスクール 湘南教室に通ったり、生活を豊かにすることに重点を置くようになったのです。


31年度の『経済白書』が、「もはや"戦後"ではない」と書いたこの時期は、流通革命がすすんだ時期でもありました。


それは、大量販売、廉価販売、セルフサービスの三つの特徴をもったスーパーマーケットの登場によって進行しました。

ある女性は・・・その6

ローズがアル・シェリア出身という理由で、夫の両親はローズに会おうとしませんでした。


結婚してといっても事情がそんなふうだから一切のセレモニーを省略、二人で役所に出向くだけの結婚だったが以来十年近くを経た今もなお、二人の結婚は夫の両親からは認められておらず、また夫のジャンは「人種差別の両親」とは一方的に「縁を切った状態」。


さすがに孫の誕生以来、毎年、クリスマスのプレゼントを郵送してくるようにはなったが、そこにジャンとローズ宛ての手紙一枚入っているわけではなく、ただただオモチャや子供服などがボソと送られてくるだけなのだといいます。

ある女性は・・・その5

毎年、春になると「また」村にランチしにいらっしゃいよ」といってローズは電話をかけてきます。


お天気のよい週末、私たち夫婦は車でパリを脱出し、高速道路A6を駆っていそいそとローズの招待に応じたものでした。


庭の丸いテーブルにシンプルなクロスを広げ、ローズはトマトファルシとか、羊のジゴ、鳥の丸焼きといった伝統的なフランス家庭料理を作って私たちを迎えてくれた。


「料理はあんまり得意じゃない」と彼女はいうが、田舎の空気とワインとたっぷりの野菜を添えて、それはいつも「ああ、なんて美味しいんだろう」とため息が出るほどのご馳走でした。


私たちが到着するのと入れ替わりのようにして、小さなレオナールは村のパン屋へとお使いに走らされていました。


「いつものように、よく焼けた(ビヤン・キュイット)バゲットを二本ね」ローズにポンと背中をたたかれ、レオナールは鉄砲弾のようにピューッと門の外へ駆け出していきました。

ある女性は・・・その4

「菩提樹広場五番地」に住む彼らは、家の前の広場からちょいと摘んでくるだけでいとも簡単に菩提樹ティーを作るのですが、この菩提樹ティーと同じくらい、ミントティーやコーヒーを愛飲します。


ミントティーは庭に群生するミントの葉をバサバサッと大胆に摘んだものにザーッとお湯を注いで作ります。


乾燥させた葉でつくるミントティーに比べ、その緑色は一段と鮮やかでそして香りも高い。


コーヒーは、といえば、深煎りの豆から作るエスプレッソ、と相場は決まっていました。


そこにゴツゴツした黒砂糖の固まりを入れ、スプーンでゆっくりかき混ぜて飲むのです。

ある女性は・・・その3

12世紀建立のゴシック様式のこの教会は、いわゆる一般の教会よりも一段位の高い「バジリク(大寺院)」で、歴史的建造物の指定も受けている立派なものだが、塔の脇には「落石注意、立入り禁止」の立札がかかっています。


老朽化が激しく、修復作業もいたってのんびりなのでこの立札はもうこうしてそこに十年以上も立ったままなのだといいます。


ローズとジャン夫妻が住む家は、ちょうどこの教会の足元に開ける小さな広場に面しています。


「菩提樹広場」という名の通り、そこには立派な菩提樹の幹が何本もかたまって立っています。


菩提樹といえばフランスではその葉と花を乾燥させてつくるお茶が好んで飲まれるが、独特の芳香を持つそのお茶は風邪の治癒や気持ちを静める効果もあるといわれ、スーパーのティーバッグから高級食品店の量り売りまで、あらゆるレベルで愛飲される国民的ハーブティーなのです。

ある女性は・・・その2

ローズはアルジェリア系のフランス人です。


生まれはアルジェリアだが小さい頃に両親や兄弟と共にフランスに移住。


学校教育の大半をフランスで受け、結婚した相手もフランス人です。


パリから南へ70キロほど離れたところにあるLという村に育ち、パリジャンの男性と結婚した後も相変わらずL村に住んでいる。


人口100人程度のこの小さな村はフォンテヌブローの森に隣接し、またジャン・コクトーが晩年の住まいとした美しい村、ミリ・ラ・フォレからも近い。


肥沃な平野の真ん中を突っ切るポプラ並木の一本道をまっすぐ進み、馬が草を食むのどかな風景や、左右に広がる可憐なコクリコ畑の中をなお進んでいくと、前方に高くそびえる教会の塔が見えてきます。


L村のシンボル、S教会でした(´ω`)

ある女性は・・・その1

ある女性のこと・・・☆


「私は母性の乏しい女だから」そうきっぱり断言した人がいました。


当時、一児の母。


レオナールという名の天使のような男の子は、「母性の乏しい」その母親を、けれど無邪気に慕い、いうこともよく聞いていました。


子供らしく駄々をこねたりすることもありますが、母親のこわい一睨み、父親の権威ある一言であっさり諦め、しゅんとなってコクリとうなずく。


こんなふうにお行儀よく子供を躾けられたらいいな、と私はその子に会う度に思ったものでした。